核兵器の全廃を目的に世界で初めて採択された核兵器禁止条約において主導的な役割を担った国際NGOのICANへのノーベル平和賞受賞式でのスピーチに登場した日本人がサーロー節子さん(Setsuko Thurlow)。サーロー節子さんは広島で被爆した体験者として、ICANとともに長く活動をともにしてきた。堂々とした彼女のスピーチに心打たれた方も少なくない。
サーロー節子さんはアメリカの大学で学び、ソシオロジーの学士を取得した。学位取得は1955年。1945年に被爆し、10年後のことだ。在籍したのはバージニアにあるリベラルアーツカレッジのリンチバーグカレッジ(Lynchburg College)。私もバージニアの大学職員だった時代に訪問した記憶があるが、美しい小規模カレッジだ。
戦後まもない時代に女性が海外にわたり学位を取得するその勇気と行動力に感銘を受けます。その節子さんはご主人とともにカナダに渡り、トロント大学でソーシャルワークの修士も取得されている。今はカナダ在住。
核廃絶を訴え世界中でスピーチをしてきた彼女のパワーは、若い時代に海を渡ったその時から変わってはいないのでしょう。学士を取得した母校であるバージニアのリンチバーグカレッジの学長は、Setsuko Thurlowさんが2018年5月の卒業式でのスピーカーに決定したと大きく報道しています。ノーベル平和賞授賞式直後の大学のウエブサイトでは彼女の写真が全面写真で掲載されています。
1950年代に、被爆という困難な状況を抱えつつも、夢を持ち、世界に飛び出した一人の女子生徒が、アメリカ、カナダでの大学を経験して、被爆経験を世界中の人々に語り継ぎ、核兵器禁止条約採択という大きな一歩に貢献した彼女の姿は、留学を考えている日本の若い皆さんにも大きな刺激となったのでは?
私一人の力は微力だから何も変わらないという前に、「すべては一人から始まる」そういう視点に切り替えてみては。
節子さんが、学び舎を巣立っていく若い学生たちにどんなエールを送るのか。
2018年5月のリンチバーグカレッジの卒業式の報道を今から楽しみにしています。